アストロサイトのバイオプリント用ハイドロゲル開発

3次元脳組織モデルの実現に向けた有望な一歩

ヒトの脳の解明

ヒトの脳を理解することは、科学における最も重要な課題の一つです。この分野における研究は、飛躍的な進歩を遂げている一方、効果的なヒトの脳モデルがないため、さらなる進歩が難しい状況です。そのため多くの場合、複雑な2次元共培養法、あるいは動物モデルに頼るしかありませんが、コストと時間がかかる上、ヒトの脳を正確に再現することができません。

このような中、スウェーデン王立工科大学(KTH Royal Institute of Technology)のAnna Herland博士とリンショーピング大学(Linköping University)Daniel Aili博士は、脳血液関門(BBB)や中枢神経系といった高度な脳の構造について、より生体を模倣したモデルを開発することの必要性を認識しました。BBBは、血流中の化合物をろ過する重要な役割を担っており、病原体や有害な粒子の侵入を防ぎながら、脳組織に栄養素やホルモン、さらに小さな分子などを供給しています。.

研究チームは、さまざまな物質から細胞が受ける影響や、微小環境における相互作用について、常に関心が高く、BBBの正確な3Dモデルを開発するためには、細胞外マトリックス(ECM)環境を模倣することが重要だと認識していました。これを実現するために、アストロサイトを3Dで培養することが重要な一歩でした。  

Daniel Aili博士
撮影:リンショーピング大学 Olov Planthaber氏

アストロサイトの役割とその培養に使われるハイドロゲル

アストロサイトは、脳内で最も多く存在する細胞種であり、数多くの機能を有しています。アストロサイトは、神経細胞を構造的に支え、細胞外空間の化学物質のレベルを調整し、BBBの形成に貢献しています。また、損傷した神経組織の修復や再生、学習と記憶に重要なシナプス活動の調節にも関与しています。

研究者にとって、アストロサイトが培養する材料によってどのような影響を受けるかを理解することは重要なことでした。Anna Herland博士とDaniel Aili博士のチームの緊密な協力関係により、ECMの主要な側面を模倣することができ、胎児の初代アストロサイトとヒアルロン酸(HA)ベースのハイドロゲルの相互作用を調整することができる、モジュラー式の、バイオプリント可能なハイドロゲルシステムを開発するに至りました。

ハイドロゲルには、ペプチドの細胞接着モチーフであるcRGDとIKVAVが含まれています。これらのモチーフは、合成ECMモデルにおいて細胞接着を改善することが示されていることから選ばれました。さらに、細胞のニューロンへの分化能力を高め、枝(樹状突起)の成長を促進することが示されています。

バイオプリンティングによるアストロサイト用ハイドロゲルの開発

研究チームの目的は、バイオプリンティングなどの高度なバイオファブリケーション手法に適した、ニューロン様細胞、特にアストロサイト用のハイドロゲルを開発することでした。これにより、精密な構造を持ち、ハイドロゲルと細胞の組成や分布を制御できる、より複雑な3Dモデルを作製することが可能になります。生物由来のハイドロゲルマトリックスではなく、人工ハイドロゲルの開発を進めた理由のひとつは、より再現性の高い実験を可能にするためでした。合成ハイドロゲルでは、細胞の挙動をより制御でき、バイオインクの一貫性を確保することが可能になります。

アストロサイトを含むハイドロゲルの、バイオプリンティング用バイオインクとしての実用可能性を確保するため、Aili博士はBIO Xとシリンジ式プリントヘッドを活用しました。研究チームは、格子状に構造をプリントし、細胞数と形態を分析しました。

ハイドロゲルシステムを最適化した結果、柔らかい生体材料(バイオマテリアル)であるにもかかわらず、良好な解像度でプリントできることが確認されました。また、安定性を保ち、細胞の成長をサポートすることができました。プリント中もプリント後も、細胞の生存率が高く、細胞が受けるストレスも少ないことが確認されました。

「プリント自体は非常に簡単でした。ただ、アストロサイトがバイオプリンティングにどこまで耐えられるかについては、確信が持てませんでした。どのようなハイドロゲル組成を使用するかによって、大きな違いが見られました。しかし、適切なハイドロゲル組成であれば、細胞は素晴らしい働きをしました。」

複雑な脳内構造を再現するための重要な一歩

6日間の実験では、HAベースのハイドロゲルを使ってアストロサイトをプリントすると、細胞が枝を広げ、ネットワークを形成するパターンで近くの細胞に接続することが確認されました。特別に設計されたハイドロゲルによって、アストロサイトのプリント、成長、維持が可能になったのです。この画期的な成果により、脳内の複雑な構造と空間的な複雑さを再現できる可能性があります。これは、より高度な脳組織や疾患モデルを開発する上で極めて重要なことです。

神経科学への応用

この研究は、神経科学への応用が期待されています。BBBの3Dモデルは、基本的な疑問に答えることができます。例えば、医薬品開発において、3Dモデルは、薬物がどのようにBBBを透過するかを研究し、理解を深めるためのツールとなります。

健康な組織と病気の組織の両方のモデルを開発するために共同研究は続き、今後は臨床医とも緊密に連携していく予定です。臨床医の意見や参加は、成功の鍵であり、問われている研究課題が適切であることを保証してくれます。

バイオプリンティングは、より魅力的な問題を研究する機会を生み出す

Aili博士の研究グループは、5年近く前からBIO Xバイオプリンタを活用しています。博士によると、バイオプリンタの活用は、博士のグループの研究テーマに合致しているとのことです。

「バイオプリンタが利用できるようになったことで、より興味深い研究課題に取り組むことができるようになり、現在の研究ができる環境になりました。」

博士からのアドバイス

バイオプリンティングを研究に取り入れたいと考えている研究者に向けたアドバイスを、Aili博士に聞いてみました。博士は、「思い切ってバイオプリンティングに挑戦してみてはどうだろう」と呼びかけました。ただし、マテリアルと細胞システムの両方を深く理解することの重要性を強調されました。

また、さまざまな背景や知識を持つ多様な人たちを集めることが、この分野では重要であるともおっしゃっていました。

「細かいことは考えず、とりあえずやってみましょう」